チボリ検証委員会が報告書

08年12月25日 | とし子からの手紙

dscn0263.JPG来年は、岡山市政120周年。市政100周年は、記念事業のチボリ問題で大揺れだった。あれから20年・・・。

私が市議会議員となったのが今から22年前のこと。1期目は「チボリ百条委員会」がつくられ、県財界の伊原木天満屋社長、当時の長野知事にも証人としておいでいただいた。

議会は徹夜をなんども経験。私たちは、とにかく徹底した調査と情報収集に走り回った。議会質問の準備のいろはを体験的に学んだ。議員としての役割を自覚する貴重な経験となった。

市議会は、「チボリ事業に採算性がなく、レジャーランドに税金の投入はすべきでない。・・・・」として、出資金の支出を認めなかった。結局、市長選となり市長がかわって、当選した安宅市長は、「行政の継続性よりも民意を尊重したい」として、チボリから撤退した。その後の倉敷での事業展開はごぞんじのとうり・・・。

岡山市議会は、チェック機能を果たしたと思う。100周年事業は形としては「水辺のももくん」ぐらいしか残っていないが、「自治体とは何をするのが役割か」を問い続け、「レジャーランドに税金をつかうのは間違いだ」とした議会の果たしたチェック機能はソフト面で大きな足跡を残したと思う。

今、岡山市は財政破綻をすることなく存在している。

昨日、チボリ検証委員会が報告書を出した。じっくりと読んで、当時かかわったものの一人として、あらためてチボリ問題を整理しておきたいと感じている。

今当時を知る6期以上の議員は8人となった。