「大切にされる・・・」ということ

09年11月25日 | とし子からの手紙

dscn0708.JPG義母が退院して8日目、付き添うときいろいろ話をしてくれる。病状はかなり重篤だ。昨日から、トイレへ歩くのがつらい・・とポータブルトイレを使用。右足が痛い・・・という。足はパンパンに浮腫がある。

「病院は入院したくない・・・」のきもちが強い。

話をよく聴いていると、病院は患者のペースで動いているところではないことにあらためて気づかされる。忙しい看護師たちは、耳の遠い高齢者の話をおちおち聴いていられないのかもしれない。声をかけてもらえない・・・、困っていることに手を貸してもらえない・・・という思いは「大切にされていない・・」という思いにつながっていく。

ちょっとした声かけや気遣いはコミュニケーションには欠かせない。

私は看護師として、いくつもの失敗を重ねた結果、「思いが通い合うことから、信頼関係は生まれる」というかかわりの必要性に確信を持っている。「思いが通い合う」には「関心」を寄せることが必要だ。その人に関心を持つと、様々な変化に気づくことができる。それは、時間によるのではない・・・と考えている。

しかし、忙しい看護現場では実践は難しい。かなり高い意識的な面接技術が必要だ。「相手の立場に立つ」という意識的な態度をもった看護師の一言は、時に人の心を救うことがある。

緩和ケアを必要とする義母は入院中も「大切にされている」という「思い」を求めていた・・のではないか。住み慣れた我が家へ帰ってきた今、家族が「大切に思っている」と伝わる時間をできるだけつくりたい・・・と思っている。

義母さん、今日もおいしいもの少しだけでも食べれるといいね・・・。今日の食事当番は私である。