阪神・淡路大震災から15年

10年01月17日 | とし子からの手紙

あの震災から15年。3期目の選挙の直前だった。朝テレビで映し出されたあの衝撃を思い出す。私は民医連の医療ボランティアにすぐ手をあげて、1週間の支援に入った。看護師としてじっとしていられなかった。

その1週間現地で見たこと、聴いたことは私の体の一部となり、追体験者となった。忘れることはできない・・・。助かったいのちと救えなかったいのちがある。

地震で生き残ったのに、その後いろんな形でなくなった人たちがいる。つくづく思った。政冶の判断の遅さがいのちを奪うことがある・・・ということだ。

当時は復興は自己責任・・・といわれた。村山内閣のときだ。個人住宅の全壊についてもなんの保障もなし・・・。一方で、公共投資は9兆円を超え、神戸空港までつくられた。個人補償をしても1兆円でできる・・・といわれたことを思うと、生きた税金の使い方で救えた命もあったろうに・・・と悔しい。

その後の粘り強い住民の運動で、法律を作り、個人住宅などに300万円を限度とする保障制度ができたことはご存知のとおりである。(共産党はもちろんがんばりました)

傷をおいながら生きていくことは辛い・・・。でも生きたくても生きられなかった人の分まで生きていこう。人生は辛いこともうれしいこともいろいろある。でも、それは、生きていればこそなのだ。

支援のあと4年間、避難住宅に東山中学校の生徒たちによびかけ、年末の年越しそばを届け続けた。あの時出会った人々はどうしておられるだろうか・・・。元気で、支えあって生きておられることを祈っている。

ハイチの地震の報道が気にかかって仕方がない。