「すぐ忘れる男、決して忘れない女」を読んだ。
下村満子さんが監修・訳をした「すぐ忘れる男、決して忘れない女」を読んだ。男と女の脳の働きの特性を知ることで、うまく補いあい、いい関係をつくろうというもの。
職場や家庭の日常の体験の中で、どうしてだろうと思っていたことが、解明できるようなおもしろさがある。うまくいったときの裏付けまでとれるのは、思わず笑ってしまう。
ぜひお勧めしたい。きっと、いいパートナーシップがとれるようになりますよ。
憲法9条・25条を生かして健康福祉都市岡山を
下村満子さんが監修・訳をした「すぐ忘れる男、決して忘れない女」を読んだ。男と女の脳の働きの特性を知ることで、うまく補いあい、いい関係をつくろうというもの。
職場や家庭の日常の体験の中で、どうしてだろうと思っていたことが、解明できるようなおもしろさがある。うまくいったときの裏付けまでとれるのは、思わず笑ってしまう。
ぜひお勧めしたい。きっと、いいパートナーシップがとれるようになりますよ。
労働学校の人生と生き方を考える講座で話をさせていただいた。
テーマは「いのち輝く社会へ」。私はなぜ看護師になったか、今いのちは大切にされているか、事実から目をそらさず、よく考えよう、だまされない人間になろう、最後に「私は看護師、最後まで人に役立ついのちでありたい」というメッセージを伝えた。
看護師の仕事を、結婚しても、こどもを産んでも働ける仕事にするために、看護師は闘ってきた。
「笑っていい看護がしたい」「2人夜勤でつき8日以内に」「患者に命を守るのは私たちだ」と、看護師増やせの運動は続いてきた。何人もの看護師がいのちをおとすような、血をながして・・・。
何人ものこどもを流産して・・・。それでも、必ず夜明けは来ると、仲間と共に闘った「2・8闘争」を、久しぶりに語った。60年代の闘い、70年代の闘い、そして今へと話をすすめた。
今日のメッセージは、「あきらめなければ、自分も社会も必ず変えることができる」ということ。
伝わったらうれしい。
政令市の静岡市、浜松市、堺市、そして政令市をめざす相模原市に行ってきました。
それぞれに歴史と背景をもっています。しかし、行革だといって、採用凍結をしている市はありませんでした。
新区役所を3つつくった浜松市は7区割りですが、8月には区役所の2人ずつの専任体制をつくり、10月には兼務辞令、2月に内示で、2月と3月にかけて住民説明会をしたとか・・・。
岡山市の取り組みは係レベルの体制がまだ出てないなど気がかりです。視察情報をしっかり生かして、これからの提案につなげていきます。
そうそう、各地で米粉製品をチェック!グリコのプリッツに1部米粉が使われていることを発見。国内食量自給率向上には、どこはいってもこだわっています。
ちょうどやってきた孫は、「バ―バのパン」といいながら、パクパク食べた。輸入小麦でなくても、米粉でおいしいケ―キは焼ける。
今日からサミット。食料危機や温暖化問題などがテ―マだが、地球規模で実効性のある目標が合意される様期待したい。
今日は七夕。働き者の機織星と彦星は、神様のはからいで、一緒に暮らすようになったが、遊んでばかりで働かなくなり、川を隔てて再び離した。一生懸命働いたら年に一度会うことが出来るようにした。
その日が、7月7日の七夕の日。いい仕事をすれば、いいことがある。私もいつもそう思って一生懸命働いている。孫に青い地球を残し、健やかに育つように・・と願っている。
今日から3日間、政令市の視察へ行ってきます。
今日は京橋朝市の日。旬の野菜、くだもの、お気に入りの品物を目当てに6時30分には到着。自転車でエコバック持参である。
人が多い。七夕の笹の枝が実行委員会からサ―ビスされている。この季節感がいい。乳母車を押している子育て世代が増えたのはうれしいことだ。継続は力である。実行委員会の皆さんには、感謝である。大島実行委員長に言わせれば、「自分の町のことだから、あたりまえ・・・」といわれるのだが、だから拍手したい。こういうあたりまえがいい!!
少しお店をご紹介します。
きょうは、玉島の桃が入荷、
岡山名物の黄ニラもここで手にはいります。
ケイコの豚まんはいつも行列、
ホトトギスのパンも人気です。
Oさんの草団子は私が必ず買うもの。おいしいです。蒜山だいこんはなんと50円でお買い得でした。
このような旬の野菜がずっと食べれるように食と農を守りたい!!地産池消は、最大のエコだと私は思っています。
中国残留婦人であった栗原貞子さんの人生をドキュメンタリーで描いた映画「花の夢」を観た。
戦争がいかに理不尽なものか。1人の女性の生きた軌跡をとうして描いた。
中国大陸をさまようなかで、こどもをなくしたこと、自殺をした友のこと、川で流されるこどもすら助けられなかったこと、強姦の危険から命からがらにげたこと・・・が語られる。
中国人の夫と出会い、結婚。水も電気もないところで、必死に働き、子供を育てた。国交が回復して娘2人と共に日本へ帰ったが、自費帰国だから・・・と国から棄民された悔しさ・・・。どれもこれもが、胸に迫った。
78歳の栗原さん、我が母と同い年。6人のこどもと18人のひ孫さんがおられるとか・・。生きていることは、すばらしいことだと思った。平和と縫い取った手縫いのかばんに思いがこもっていた。
忘れてはならない大切な歴史がある。栗原さん、長生きしてください。